リラ修道院
      
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エリア:ブルガリア:その他   観光の特徴: 歴史・文化   必見!   カップル   ファミリー   ひとり旅   シニア

  観光ジャンル: 世界遺産   名所・旧跡   教会・宮殿・寺院

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ブルガリア正教会の総本山リラ修道院

リラ修道院は、ブルガリア最大で最も著名な正教会の修道院です。修道院はリラ山脈の北西、及び海抜1147メートルの高さにあるリラ川の深い低地にあり、ブルガリアの首都ソフィアから117キロメートルに位置しています。
10世紀に創設されたリラ修道院は、ブルガリアにおいて最も文化的、歴史的、建築学的に重要な遺跡の一つであると評価されており、ブルガリアとヨーロッパ南東部において、観光客をひきつける要所となっています。リラ修道院は1983年、ユネスコの世界遺産に登録されました。

※写真:トリップアドバイザー提供

リラ修道院のフレスコ画

聖母教会の壁や天井一面に描かれたフレスコ画は天然色を多用した極彩色で描かれています。平面的な絵ですが、その美しい色使いは浮世絵のようなビビッドな魅力を引き出しています。
描かれているのはイエスキリストや12使徒、その周囲には百鬼夜行に出てくる餓鬼やキングギドラのような龍、ユニコーンのような一角獣や人を飲み込む怪魚まで様々です。

リラ修道院の外観

リラ修道院の現在の姿は、ほぼ19世紀に完成しました。修道士居住施設の東棟のみが20世紀に建築されたものです。修道院で最も古い建造物は14世紀(1335年)に建築されたフレリョの塔です。波乱の時代にはこの塔は要塞や修道士の住居としても機能しました。高さ24メートルの塔の最上階=5階には、主の変容礼拝堂があります。現在フレリョの塔は夏期のみ公開されていますが、礼拝堂の透明なくぼみを通して14世紀の壁画を見る事ができます。

リラ修道院の歴史

伝承からリラ修道院は、ブルガリア皇帝ペタル1世の統治する時代(927年-968年)に、リラの聖イオアン(イヴァン・リルスキ)が設立したと考えられている。彼は教育を受けるため山脈へやってくる彼の教え子達が修道院を建設していた間、実際にその修道院からそう遠くない洞窟で生活していた。
創設以来、リラの修道院はブルガリアの統治者から後援され、尊重されてきた。オスマン征服まで続いた第二次ブルガリア帝国のほぼ全てのツァールによって大規模な寄付が行われ、修道院は12世紀から14世紀にかけ、ブルガリア国民の意識の中で文化的・精神的中心の頂点を極めた。
リラ修道院は14世紀中に、フレリョ・ドラゴヴォラという名の地方封建王により、現在の位置に再建された。修道院内の複合建築物にはこの時代に建てられたものが現在も含まれており、フレリョの塔(1334年-1335年竣工)やその隣にある小さな教会(1343年竣工)などがあげられる。司教の椅子や豪華に彫刻された修道院の門も、この時代に属するものである。しかし、14世紀末のオスマン人が出現し、修道院への数々の襲撃や破壊が15世紀半ばに行われた。
だが、その後ロシア正教会、正確にはアトス山にあったロシコンの修道院による寄付のお陰で、15世紀末には聖ヨハネの遺品を持ってキュステンディル地域からやってきた、3人の兄弟によりリラ修道院は改築が施されたのである。
修道院内の複合建築物は、外国の統治下にあった時代におけるブルガリアの言葉や文化を所蔵する、保管所の役割を務めた。ブルガリア復興期(18世紀-19世紀)において修道院は、1833年に火事で破壊された後、1834年から1862年の間にブルガリア全体から裕福な国民の援助を受けて、建築家アレクシ・リレツの指導の下に修復が行われた。住居となる建物の建設は1816年に始まり、1844年にはフレリョの塔に鐘楼が取り付けられた。また修道僧のネオフィト・リルスキはこの時期に修道院内へ学校を設立した。
ブルガリア復興期の建築物の最初の傑作の一つとみなされている修道院複合建築物は、1976年に国立史跡として表明され、1983年にユネスコの世界遺産へ登録された。1991年以来、修道院はブルガリア正教会の教会会議に付随している。

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Rila, Bulgaria
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