ここは古代ローマの“ヘルクラネウム”という町だった場所。元々はレシーナという町だったが、遺跡が発見された後、1969年にヘルクラネウムのイタリア語”エルコラーノ”に町の名前を改名した。
ヘルクラネウムは、79年8月に起こったヴェスヴィオ火山の噴火により、ポンペイ同様、火砕物に覆われてしまった。18世紀初頭、井戸を掘っていた男性が偶然、遺跡を発見。以降、発掘作業が進められているが、現在もなお作業は終了していない。
エルコラーノ遺跡の一般公開されている部分は、大きな4つのブロックと、それを分ける縦横に交差する通り。北西部分には①フォロの浴場と②黒いサロンの家。北東部分には③ネプチューンとアンピトリティスの家 と④サムニテスの家。南西部分には⑤板仕切りの家と⑥格子垣の家。南東部分には⑦モザイクの中央広間の家 と⑧鹿の家がある。
①フォロの浴場 男女別に別れた入り口、脱衣所、浴そうなどが残っている。女性用の脱衣所には、トリトーンがキューピッドや海の生物に囲まれたモザイクで装飾されていた様子が見られる。
②黒いサロンの家 中庭に面した一室が黒で装飾されているため、この名で呼ばれる。向かいの家(Casa di Bel Cortile)には発掘された遺体が展示されている。
③ネプチューンとアンピトリティスの家 「ネプチューンとアンピトリティス」を描いたモザイクが残っている。エルコラーノの人たちが、いかに優雅な暮らしをおくっていたかが、この家の装飾からも見てとれる。
④サムニテスの家 入り口を抜けると、中央に雨水槽を置いたアトリウムがある。
⑤板仕切りの家 可動式の木板壁の一部が残る。アトリウムと食堂を仕切っていた壁とされる。
⑥格子垣の家 歩道にせり出した格子垣のバルコニーを持つ家。3つの入り口を持つ共同住宅だった。
⑦モザイクの中央広間の家 玄関とアトリウムが、白黒のモザイクで装飾されている家。「ディアナとアクタエオン」の壁画やガラス窓も残る。
⑧鹿の家 猟犬に追われる鹿の彫像が発掘されたことから命名された。ただし飾られるているのはレプリカで、オリジナルは、ナポリの考古学博物館に収蔵されている。
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