約18000坪の規模の徳寿宮は現在、一般人が自由に観覧できるように開放され、都心の中の文化的かつオアシス的な空間となっています。高層ビルがそびえ立つビジネス街にあって、観光客だけでなく、昼休みはサラリーマンが散歩しており、休みの日にも老若男女問わずたくさんの人が訪れます。
また中には中和殿(チュンファジョン)、中和門(チュンファムン・宝物(国宝と重要文化財の間)819号)、咸寧殿(ハンニョンジョン・宝物820号)、仰俯日(アンブイルグ・宝物845号)などの文化財も多く、徳寿宮自体も史跡124号に指定されています。
徳寿宮はもともと成宗の兄月山大君の邸宅として造営された。しかしその後、豊臣秀吉による文禄の役で義州に避難していた宣祖は、1593年にこの邸宅を、戦火で荒廃した景福宮のかわりの臨時の王宮とした。そのときは貞陵洞行宮と呼ばれた。さらに光海君が居住。そのときには「慶運宮(キョンウングン)」と命名された。
しかし、光海君が昌徳宮(チャンドクグン)に移ると顧みられることなく廃墟となった。
1897年に高宗が慶運宮を改修し、1896年に閔妃が暗殺され、高宗がロシア公館に避難する事件が起きてからは、慶運宮に高宗は居住した。以後高宗が退位する1907年まで日韓保護条約の締結など大韓帝国の歴史の舞台となった。高宗の次の皇帝純宗は長寿を祈願して「慶運宮」を「徳寿宮」と改名し、現在にいたる。
宮内にある史跡のいくつかをご紹介します。
大漢門はもともとは徳寿宮の正門ではなく東門で、もともとの名前も大安門(テアンムン)でした。900年代に大漢門の周辺にいくつかの道路が作られ、交通の便がいい大漢門が次第に正門として利用されるようになりました。
※写真:トリップアドバイザー提供
1902年に建立された徳寿宮の正殿で、李朝時代末期に使用されました。内部の天井には2匹の龍が描かれていますが、この爪の数は7本となっています。これは龍の爪の数が中国、韓国を問わず大部分が5本で王を表すのに対し、7つは皇帝を象徴します。
※写真:トリップアドバイザー提供
西洋式の建物である石造殿は1900年イギリスの指導の下に作られたもので、朝鮮末期に王が住んでいた宮殿。建物の長さは54.2m、幅31m、高さ17.5m、延べ面積1,226坪。石造殿という名には「石で造った」という意味があります。
※写真:トリップアドバイザー提供
徳寿宮の出入口である光明門(クァンミョンムン)とともに展示されている梵鐘は、韓国伝統の鐘の形をしており、朝鮮時代には時間を知らせる役割を果たしました。
※写真:トリップアドバイザー提供
大人(満25歳以上) | 1,000ウォン |
子供(満7歳以上、満24歳以下) | 500ウォン |
名称 | 徳寿宮 / トクスグン 덕수궁 |
住所 | ソウル市 中区(チュング) 貞洞(チョンドン) 5-1 |
住所(韓国語) | 서울시 중구 정동 5-1 |
電話番号 | 02-771-9951(外国語無料案内:02-771-9955) |
営業時間 | 9:00~21:00※入場は閉園時間1時間前まで |
休業日 | 月曜日(ただし祝日と重なった場合は開館) |
HP | http://www.deoksugung.go.kr/index.asp |
アクセス | 地下鉄1号線市庁(シチョン、City Hall)駅 2番出口 徒歩1分 |
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